大野充彦『龍馬の小箱』(9)
龍馬の銅像


西郷隆盛(さいごうたかもり)の写真は1枚も遺されていません。彼の銅像は、弟の従道(つぐみち)をモデルにしたようです。東京・上野公園の銅像を見た未亡人・糸子さんが「こげんなお人じゃなかった」とつぶやいた、というのは有名なエピソードです。一方、龍馬の写真は数枚、現存しています。龍馬は背も高く、男前です。

高知市の桂浜に建っている龍馬の銅像は、前回紹介しましたように、武市佐市郎(たけちさいちろう)氏所蔵の写真を参考に、高知県出身の彫塑家・本山白雲(もとやまはくうん)氏が製作したものです。
除幕式は昭和3年(1928)5月27日、当時の海軍記念日にあわせ、盛大におこなわれました。約1万人の群衆が集まったようです。広島の呉港からは軍艦「浜風」がやって来ました。その詳細は、拙著『城下の風景』(高知新聞企業、2010年2月刊)を参照ください。

なお、アクトランド主要館のひとつである「龍馬歴史館」の正面左にも龍馬像が建っています。この像は、武市佐市郎氏所蔵の写真を忠実に再現したものです。台座の「坂本龍馬先生」の文字は龍馬の子孫・土居晴夫(どいはるお)氏の、当館看板の文字は元高知県知事・中内力(なかうちつとむ)氏の、それぞれ直筆です。

桂浜の銅像のように、戦前に建てられたものとしては京都・円山公園の龍馬像が有名です。龍馬は、腰から鞘(さや)ごと抜いた太刀(たち)を杖のようにし、悠然と立っています。左手は柄(つか)の先を握りしめています。その脇には、陸援隊長の中岡慎太郎(なかおかしんたろう)が右膝を立て、龍馬に寄り添うように座っています。このふたりの銅像は、昭和9年(1934)に建てられましたが、戦時中の金属類回収令によって供出、再建されたのは昭和37年(1962)のことでした。

京都の銅像から再び高知県の銅像の話に戻って恐縮ですが、桂浜の龍馬像も室戸岬の慎太郎像も製作者は本山白雲氏、高さも同じです。身の丈5m30㎝、台座を含めた総高13m50㎝です。慎太郎像の除幕式は昭和10年(1935)4月7日に挙行されました。龍馬は海援隊長、慎太郎は陸援隊長、というのが幸いしたのでしょう。両像は戦時下にあっても供出を免れ、建立当時のまま現在に至っています。

長崎・風頭(かざがしら)公園の龍馬像は、腕を組み、左肩をやや怒らせて立っています。亀山社中(かめやましゃちゅう)の創設者として、同社中跡近くの公園に、平成元年(1989)5月21日に建立されました。1m60㎝の台座の上に、3m20㎝の龍馬が長崎湾を見下ろすように立っています。風頭公園には「竜馬がゆく」文学碑もあります。

新婚旅行におもむいた鹿児島県には、龍馬とお龍の銅像があります。龍馬は慶応2年(1866)1月22日に、いわゆる「薩長同盟」を成立させます。その直後、長州に帰る桂小五郎を見送り、寺田屋に投宿するのですが、同月24日午前3時頃、襲撃されます。その折の傷を癒すため、現在の霧島市の塩浸(しおひたし)温泉に逗留します。お龍とともに18泊したようです。温泉の一角には「坂本龍馬お龍新婚湯治碑」が建てられています。立ち姿の龍馬。その横に腰掛け、龍馬を優しく見つめるお龍。ほのぼのとした銅像です。

北海道にも龍馬の銅像があります。意外に思われるかもしれませんが、龍馬がかつて蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた北海道の開拓を夢見ていた、といったことや、彼の子孫が移住した、ということで、函館に平成21年(2009)11月15日、「北海道坂本龍馬記念館」がオープンしました。私は、そこまでは知っていましたが、同館開館1年後に建立された龍馬像を知りませんでした。ネットで検索しましたら、台座2m50㎝、龍馬3m50㎝、総高6mで、龍馬は左手に本を持ち、右手は人差し指で天を示すように、高く挙げています。

長崎県五島列島の龍馬像は、海に向かって合掌しています。慶応2年(1866)5月2日未明、亀山社中(かめやましゃちゅう)の面々が乗り込んだ洋型木造帆船・ワイルウェル号は、長崎から鹿児島に向かう途中、中通(なかとおり)島の塩谷崎(しおやざき)沖で、暴風雨に遭って転覆しました。この事故で、龍馬が信頼を寄せていた池内蔵太(いけくらた)はじめ、12名が溺死したのです。

紙面が尽きましたので、紹介はこれで終わりますが、龍馬が投宿したという島原には「サムライブルー龍馬像」というものもあります。(財)日本サッカー協会などから寄贈されたそうで、龍馬はサッカーボールに右足をのっけています。 テレビ番組で初めて知ったのですが、東京品川区立会川(たちあいがわ)の京浜急行の駅には、20歳の龍馬もいるようです。私が「いるようです」と書きましたのは、この像の台座の下にはキャスターが付いていて、移動できるらしいのです。土佐藩はペリー来航後、浜川(はまかわ)砲台をつくりますが、剣術修行で江戸に行った龍馬も浜川砲台に関わった、その近辺に立会川駅がある、というのが設置された理由のようです。龍馬人気は衰えをみせません。